変わり兜について

歴史ブームによって鎧兜に注目が集まっています。
戦国武将の兜には個性的なものが多く、変わり兜として人気があります。
そんな変わり兜について紹介します。

◆変わり兜とは
変わり兜は、鉢の上に和紙や皮革、動物の毛などで装飾を施したものと、鉢の形状自体を加工して作ったものがあります。
動植物や器物、地形、神仏などのあらゆるものをモチーフにして、当時の武士の気性を反映した奇抜なデザインが多くみられます。
江戸時代に入ると工芸技術の向上により、更に多様な装飾性の強い変わり兜が作られるようになりました。
変わり兜とは、さまざまな物象を立物などで飾った兜や、鉢自体を何かの形に作り込んだ兜など、ユニークな造形でひと目を惹く兜を総称して呼び慣わしています。
その独特の造形は、目にも楽しませてくれます。
ウサギなどの動物を模したものや地形、神仏などさまざまなものをモチーフにした兜もあります。
こういった「変わり兜」は、有名武将や無名の武士たちが、威光を誇るために、敵を威嚇するために、げんかつぎのために身に着けていたそうです。
今では各地の博物館などに点在しているため、現物を観る機会はなかなかありませんが展覧会などでみられるでしょう。

◆当世兜
戦国時代のなかごろから安土桃山時代にかけては、合戦の規模もさらに大きくなり、数多くの兜が必用になりました。
また新兵器鉄砲も現れたので、兜の鉢をつくる鉄板の張り合わせ方に様々な工夫がされ、作り方が簡単で、しかもその張り合わせ方によって、色々な兜が生まれました。
日根野備中守が工夫した日根野頭形などの、頭の形に合わせたものが一般的ですが、ほかにも桃に似せた桃形、手ぬぐいを頭に置いたような置手拭形、烏帽子に似せた烏帽子形といったものがあります。
もちろん奇抜な飾りの立物がつけられているものや、紙などの張り子をかぶせて奇抜な形に仕上げた物もありました。
兜の作り方では、鉄板を張り合わせる段階で奇抜な形を作り、独自の形をさせているものもあります。
秋月藩の重臣の家に伝来した兜は、叩塗りという漆塗りの手法で、頭巾のような形をしています。
大名でも自分で形を工夫する人もあり、小倉藩主細川忠興が考えた越中頭形が知られ、彼の家臣の武士も被っていました。
さらに大名家ではお抱えの具足師に命じて、統一した形の簡易な兜を持つ番具足を作らせて、下級家臣に支給するために保管していました。
また足軽や動員した人々に被らせる陣笠もありました。

◆江戸時代の武家の被り物
合戦のなくなった天下太平の時代の武士は兜を身につける事は、儀式や軍事訓練などを除いてなくなっていきました。
警備や治安維持、工事の監督、あるいは藩の行列での行進など、武士が勤める役目での様々な機会では、黒漆塗りの家紋入陣笠などが着用されました。
これらは御用をつとめる武士の威厳を示した事でしょう。
また、火事の消火の任務では、革などを張り合わせて兜のようつくった火事兜が使われました。
このほか、簡易な武装で頭を守るための被り物、あるいは実戦のための簡易な陣帽もありました。
幕末には韮山笠など砲術訓練にそなえた新しい被り物も現れました。

◆福岡藩主の変わり兜
福岡藩初代藩主黒田長政は、その父如水と共に、変わり兜の武将として有名です。
その兜は赤合子と呼ばれ、湯飲みの形をし、赤漆で塗られた物でした。
戦場では如水の赤合子として恐れられたそうです。
後の三代藩主光之が如水をしのんで作らせた物が残っています。
長政は徳川家康に味方した武功によって筑前の大名となりました。
その兜は若い頃の大水牛脇立兜、家康から拝領の羊歯前立南蛮鉢兜、天下分け目の関ヶ原合戦で着用した銀箔押一ノ谷形兜など多彩で、かれの武将としての個性をしのばせます。
また、福岡藩主の火事兜も個性的で、家紋の刺繍で飾られたきらびやかな物もあり、その存在をアピールするかの如くでした。

変わりは様々なデザインがあり、変わったものが多くありますが、武将たちの信念や威厳が強く出ています。
好きな武将の兜を知っておきたいですね。

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